8-3 浴室・サニタリー
浴室/浴槽、壁・天井
浴槽はセルフビルトであるため、防水・水仕舞いなどの施工精度や工数を考慮しFRP製のハーフユニットバスを選択。
浴室の壁・天井材は30年間使用した15mm厚の無塗装の檜板を取りはずし、再利用する。

経年変化で色が多少くすんでいるため、遠野の木工団地にある家具・建具専門のノッチアートさんに仕上鉋をかけてもらうと、檜特有の香りと色艶がでてきた。風呂釜のリモコンパネルや照明器具の位置に配慮しつつ、板材を取りつける。



浴室は裸になる場所であり、冷たいタイルの触感より、木の温もりのある板材に包まれた方が気持ちよく落ち着く。入浴中、湯気がたっても調湿性のある板材は結露しないため、天井から水滴がおち冷やっとすることもない。
湯にひたり、外の景観を味わいつつ体の芯から温まる入浴はわが国の温泉文化であり、至福のひと時といえる。
サニタリー/洗面・トイレ
子供達が独立し、終の住処では朝の洗面で混雑することはない。幅1.7mある洗面台サイズは40cm小さくつめ、鏡は壁面いっぱいにしてゆったりした空間を感じるようにする。洗面台脇の片側がなくなったため、小物が置けるよう壁に棚をつくる。この材は暖炉棚の残りを活用する。



近年、洋便器は節水タイプと多機能化が進んでいるが、30年間使いなれ体になじんだサイホンジェット式便器のシンプルな形と機能に愛着があり、2台あった便器のうち状態のいいものを遠野へ運び活用する。

トピックス8−6 QMCH 牡馬と牝馬
牡馬 : アルとサイは常にバトルをくり返し、どっちがリーダーか常に確認しあっている。サイはちょっと控えめであり、アルにリーダーを任せているようにも見受けられる。
アルはサイを追い詰めることに集中しているが、サイは追われながらも撮影している僕の立ち位置を横目でチラリと確認し、激突しないよう上手くアルを誘導していた。
この激しいバトルは数日ごとにくり返され、始まると2〜3分はつづき、馬体からは湯気がたつほどである。

アルが足を痛めびっこを引くようになったとき、サイはアルに四六時中よりそい、彼自身も運動不足から筋肉が落ち、体が一回り小さく見えるときもあった。
牡馬が去勢もなく二頭一緒に暮らすことは、一般的に見られない。アルとサイはクイーンズメドウで同時期に生まれた仲のよいペアである。
牝馬 : 三世代ファミリー 、エリアナ(祖母)、エリ(母)、エリザ(孫娘)
エリアナは2006年初冬、オーストリアのチロル地方から飛行機に乗って遠野へ移住して来た。その時、お腹にはエリを身ごもっていた。
ひどい風雪が1日続いた翌朝、森にエリアナファミリーの様子を見にいく。
初めは孫娘のエリザが近よってくるが、おばあちゃんのエリアナがエリザを制し、まず母親のエリと挨拶にくる。その後、エリとエリザに入れ替わり鼻をすり寄せる。彼女たちは年長者から順に挨拶を交わすという姿勢がみられ、馬の世界でも年長者に敬意を示すことを認識し感動する。
ここの馬たちは外気温がー20℃になっても馬房に入らず、屋外で暮らしている。風雪や地吹雪がどんなに強くても頭を風下にむけ、強風をやり過ごしている。
馬たちの全身を覆う毛は高い断熱性と防水性、それに防風機能もあせもっている。
8-4 和室
面皮柱
東中野で建て替えたとき、居間入口の小壁端部につかった柱で、家族一人ひとりの背の高さを刻んだ跡がついており、終の住処では和室の入口柱として使用する。

面皮柱は磨丸太の四面を鉋で削り落としてつくるもので、この技はかつて茶室を建てたとき数寄屋大工から習った。
文殊菩薩像柱
子供のころ、自宅庭にあった銀杏はいつも木登りなどをして遊んでいた。大風の時、木のてっぺん近くまで登り、風で身体が大きく揺れ動くスリルを楽しんだこともあった。可愛がっていた猫が亡くなったとき、銀杏の根もとに埋葬してあげたが、その後、この木がほかの銀杏より太く成長し驚いたことを記憶している。
東京タワーの建設がはじまるとこの木に登り、タワーが高くなっていく様子を夏の暑い盛りも冬の季節風が強いときも、あかず眺めていた。当時、東京には高い建物がなく、新宿御苑の緑の森越しに東京タワーの建設が見通せたのである。
敷地整理で銀杏を伐採した折、父がこの太い木に文殊菩薩を彫り、増築時に母の教室の柱として使った。その後この柱は、30代後半に立て替えた家で、子供達が賢く成長するよう願いをこめ子供部屋の柱として使い、終の住処では和室の飾り柱として活用する。



船底天井/気抜きの意匠
8畳間の天井は二寸勾配の船底天井にすると、ふわりと包まれるような空間になり、気持ちがいい。炬燵で鍋料理を楽しむときなど、その熱気と匂いが天井にたまらないよう船底部分の天井板に気抜きの意匠として穴を開ける。この熱気は天井裏から吹き抜けに流れ、北側上部の窓より屋外へ排出するようにした。







この建物唯一の天井裏には、上棟式でつかったお宮と破魔矢を納めておく。
東側の掃き出し窓は東中野の障子寸法にあわせ、鴨居高さを決める。


トピックス8−7 QMCH 風雪
遠野盆地では冬の季節風は西寄りが卓越する。盆地から猿ケ石川沿いに北へ5kmほど離れたクイーンズメドウでは、周辺地形の関係から南風に変化し、数分おきぐらいに東側斜面から強風が吹きおろしてくる。
遠野地域の積雪量はさほどおおくない。厳冬期、大陸からの強い高気圧による吹きだしで日本海側の地域では湿った豪雪がつづき、奥羽山脈の東にある遠野盆地では乾燥した雪が20〜30cmほど積もる。春、太平洋岸を通過する発達した南岸低気圧のとき、湿ったドカ雪が一晩で40〜50cmほど積もる場合もある。
厳冬期では日中でも零度以下の真冬日がつづき、強風が吹くと寒さが身にしみる。冬でも晴天の無風時は太陽と雪面からの反射により、薪割りや馬事といった外仕事でも寒くはない。
20cm以上雪が積もるとQMCHではラッセル車を出動させる。冬以外は農業用トラクターとして活用しているが、11月末に農業の秋仕舞いを終えるとトラクターの先端に除雪用の排土盤を取りつけ、トラクター後部には除雪荷重とバランスを取るため、コンクリートのウエイトを取りつける。風雪時のトラクター運転は体が冷え、足先がジンジンと痛くなるほどだ。

8-6 書斎コーナー
第一線からリタイアーし、自由裁量時間は7万時間ともいわれている第二の人生では、書斎は極力ミニマムにしたい。机のまわりの本棚は最低限にし、本と資料は厳選して書斎コーナー裏側の納戸に整理収納することにした。



東中野の家では、子育ての最中は多目的室として使っていた部屋を、子供が独立後に広めの書斎にしたところ、少し油断したうちに本や資料、趣味の物品などが瞬くまに増えてしまった。
世間では「断捨離」、「終活」という言葉が大手をふって歩き、必要のないモノはどんどん捨てようという風潮になってきている。人生のラストステージに向かってモノを整理し、身軽で健康的な暮らしをするのは魅力的だと思うのだが、はたして本当にそれだけでいいのだろうか?



8-7 納戸
1980年代から90年代は、主に団塊世代のためのコンセプトモデル住宅の企画設計をしていた。当時、住宅設計の専門書や建築設計資料集成では、どれを見ても住宅の収納面積は延べ床面積の10%程度と記述してあった。しかし、本当にそうなのだろうか、と疑問を持っていた。
かつての日本人は、モノの少ない質素な暮らし向きであった。しかし、1960年代からの経済成長にともない、暮らしにゆとりができると多くのモノを買いこみ、不用品の処分もできずモノが溢れ、室内環境が雑然としている家庭が大部分であることを認識していたからである。
ちょうどそのころ、いい資料に出会った。商品科学研究所という民間組織が「生活財生態学」という調査研究資料を、1976年と1983年に分厚い本として出版していた。調査のサンプル数は多くないが、暮らし全般にわたり住環境とモノの関係を克明に調べてあり、この資料をベースに検討・試算すれば、ライフステージごとに必要な収納面積を具体的に把握できるのではないか、と考えた。
試算した結果、住宅に必要な収納面積として新婚時期は延べ床面積の8%ほどで十分、子供2人の4人家族で子供が未就学の時期は9%前後、2人とも小学生の時は11%前後、中・高生になると12%前後、子供が成人したころは14〜15%という数値がみえてきた。
その後、子供の結婚や独立により収納面積は少なくなってくるが、親世代がリタイアーして子供世代と同居するケースでは、同居時期により親世代あるいは子供世代のために増築した場合、必要収納面積は16〜17%まで増加していた。そして、収納部分には適切な奥行きの棚を床から天井まで用意しておくことが、モノの収納整理に最適であることも考察することができた。
最近の住宅設計関係の資料をみると、延べ床面積に対して収納部分がしめる割合を「収納率」とよび、戸建住宅では10〜15%が目安とし、暮らしやすい家は15〜20%としていた。
30代半ばに両親を見送り、その後、作品や遺品の整理に膨大な時間とエネルギーを費やしたことを振り返ってみれば、モノの少ないシンプルな暮らしはいろいろな意味において魅力的であり、子供に迷惑をかけることもない。
人生とモノの関係は微妙に絶ちがたく、モノを整理することは実に悩ましい。気に入ったモノには人生の物語という記憶が刻まれており、そのモノ達が暮らしの中に存在することは気持ちが落ち着くものである。

ファミリーヒストリー的なモノは処分することは難しい。若い方が継承してくれそうなモノは収納スペースがあれば時期が来るまで保有しておくこともできる。2〜3年経っても使いそうにないモノは、清水の舞台から飛び降りるつもりで処分することに限る。そして、想い出があり、見られたくないモノは、ひとり静かに暖炉で「お焚き上げ」をすることにしよう。




トピックス8−8 QMCH 馬と鹿の共生
12月に入ると鹿猟が解禁になる。クイーンズメドウの敷地は私有地であり、ハンターが入りこみ猟銃を撃つことはない。鹿はそのことを理解しており、猟銃の音が響くようになると馬の放牧エリアに鹿の群れを見るようになる。
食べるものが雪に隠れてしまうと、馬が喰んでいる干草を目当てに鹿が近寄ってくる。馬は鹿が来て干草を食べることをあまり気にしてないようだ。大人の鹿は人間が近づくと素早く逃げてしまうが、子鹿はそのうちに慣れ、馬と一緒に干草を喰むようになる。

子鹿の群れのなかには、罠にかかり足先を失いびっこを引きながらやって来る個体もいる。右後足の先端を失った子鹿は、雪が消えるまえに森で力尽きていた。そして、左前足の先をなくした子鹿は雪が消えるころ、3本足でも仲間達と元気に行動できるようになっていた。
子鹿、その後
樹々の芽吹きにあわせ、鹿の群れは山へ移動していった。
根雪になるその年の12月、銃声とともに敷地内で鹿の姿をみかけるようになった。しかし、いつまで待ってもあの子の姿をみることは無かった。
翌シーズンもやって来なかった。やはり、無理だったか、、、
3年目の冬がすぎ、銀鼠色のビロードのような綿毛につつまれた猫柳の花が咲きはじめるころ、メンバー共通LINEに「大岩牧区に3本足の牡鹿がいる!!!」という動画がアップされた。スマホの画面を食い入るようにみると、干草を喰む姿はまさにあの子だった。「よくサバイバルしたねぇ」とひとり呟きながら、身体の芯からこみあげてくる熱いものをしみじみと感じていた。
8-8 ロフト・階段
10歳の時、初めて行った出雲にある父の生家は町屋づくりであった。二階へあがる階段は2ヶ所あり、一つは居間座敷からあがる箱階段で、もうひとつは中庭の廊下側にある急な階段だった。その段板は手前側がほんのわずか高く、微妙に傾斜しており、足が滑りにくく登りやすかった。大人になり各地の民家を調査するようになり、この急であるが登りやすい階段は伝統の知恵であることを認識した。
民家の知恵として、土間や台所の天井は高く吹き抜けており、採光や煮炊きの熱気を上部にある高窓から屋外へ排出していた。この高窓の開閉は丈夫な三つ編みの麻縄で下から開閉できるよう工夫されており、その知恵をロフト階段の収納に活用する。

終の住処ではこの急な階段を通常は天井に引き上げておき、使用時に登山ロープと岩登り道具をつかい簡単に上下できるようにした。




ロフト床面は1階床から2.4m上がっている。その目線が高くなったロフトから室内空間の変化する様子を見るのは面白い。子供や猫は床面より上がった高みから下を眺めることが好きだ。
この吹き抜け空間上部にある窓から遠野盆地の眺めは素晴らしい。クイーンズメドウメンバーの松井さんが「ここからは『遠野物語』の世界がリアルに三次元で見えますね」という含蓄のある表現をして、しばし眺めていたのが印象的だった。

ロフトスペースにはファミリーヒストリーなど記憶に残るモノの収納、友人が訪ねてきたときの寝床など、多目的に使える。
ロフトにある天窓は開閉可能なタイプとし、屋根補修時に上へ出られるよう考慮した。
トピックス8-9 QMCH 溜池の冬景色
QMCHの建物施設から直線距離で南に400 メートルほど離れた西向きの傾斜地には5枚の棚田がある。棚田の最上部には冷涼な沢水を温め、田に水を供給する溜池があり、初冬から春先にかけ、その水面には氷と雪の美しい模様がみられる。朝日や夕日の斜光がさしこむころ、わずかに流れこむ水音を聴きながらその場に佇んでしまうほど、幻想的で神秘的な表情を見せてくれる。





気温、湿度、風向・風速、降雪量、日照時間など気象条件の微妙な変化により、同じ模様が現れることは決してない。人智では押しはかれない、まさに「造化」のなせる技といえよう。
トピックス8-10 Café TAKASHIMIZU
2月下旬から3月中旬にかけては気温の乱高下があり、道路雪面は猫の目のように変化する。現場から公道へでる宅地内道路で軽トラがスタックしてしまい、脱出することもままならず、歩いて仮住まいへ帰ることもあった。
このころ日中は気温が上がり道路の雪が解けグズグズに腐り、油断するとスタックしやすくなる。低気圧の通過で雨が降り翌朝にかけ気温が下がると雪面には氷の層ができ、坂道は滑り台のように急変し車での通行が難しくなる場所もあり、途中から現場まで徒歩で向かうこともあった。
やがて春風が吹き路面から雪が消え、ようやく安全に現場まで行き来できるようになる。このところ現場ではひとり仕事がつづいており、クイーンズメドウメンバーが現場に寄りたくなるよう共通LINEにカフェオープンのメッセージを入れる。
Café TAKASHIMIZU Open 10:00 〜 16:00

第9章 左官→ Coming Soon