第9章 左官

塗り壁に魅せられて 
 伝統民家では、梅雨から秋のお彼岸にかけての高温多湿な気候風土を、いかに健康的に暮らしてゆくかを考慮していた。そのため、土間、塗り壁、床板、畳、障子、襖、天井板など室内空間のすべてにわたり吸放湿性(調湿性)のある素材をもちいていた。
 夏涼しいと感じる要素は気温だけではない。無風の場合、体感温度は人体周辺の床・壁・天井面から放射(輻射)の影響を気温と同程度にうける。伝統的な防暑・採涼方法はこの放射の効果を理解し、室内空間の表面温度が室温以下になるよう吸放湿性のある素材を選んでいた。そして、放射以外にも通風を積極的に活用し、体感温度の低下に苦心していた。

 ここで“夏をむね”として創られた伝統民家(武蔵国 獅子ヶ谷 横溝屋敷)における夏季における温熱環境の実測値をご紹介したい。

 昼前の11:30、外気温が33℃まで上昇した真夏日において、主屋南側前庭の地表面温度は45℃、大戸口付近の土間の地表面温度は25℃、土間北側のかまど近くは22℃であり、31℃ の室温より10℃近くも低くなっている。
 炎天下の屋外から土間へ入ると、エアコンでは味わえない上質な涼しさにつつまれ、しばらく 佇むと汗がここちよく引いていく。大戸口や座敷の建具はすべて開け放たれているが、室温は外 気温より2℃低い31℃である。
 板の間の表面温度は27℃、畳と天井は28℃、塗り壁は2 6℃と室温より5℃も低い値を示し ている。民家の床・壁・天井部分は吸放湿性のある素材をつかっているため、日中は素材からの 放湿作用により、その表面温度は室温より低くたもたれ、身体はその表面から冷放射をうけ、室 温以上の涼しさを体感できる。

 日中熱くなった建物内部は、夜間換気で冷却することが先人の知恵である。夜間、屋内へとりこむ外気は日中とはことなり相対湿度が高い。この湿気をふくむ冷涼な外気は室内のクーリングとともに、床・壁・天井の吸放湿素材に湿気を供給する。そして、日中、相対湿度の低下した外気を室内に通風することにより、吸放湿素材から湿気を放散し、床・壁・天井の表面温度を低下させる。このように民家は日中・夜間で温度、湿度のことなる外気を1サイクルとして活用し、室内気候を調整していた。

 各地域に現存する伝統的な建物の調査をとおして、先人がこだわって進化させてきた塗り壁の機能や性能を理解し、そして、光によって変化する壁面の美しさにふれ、多面性のある塗り壁にすっかり魅せられてしまった。

ここちよい五感刺激のある暮らし
 子供のころ暮らした家の壁は漆喰しっくい仕上げだった。漆喰の白い壁は夏には気にならないが、冬季や肌寒い早春・晩秋には、もう少し温かみのある色合いだったらいいなぁと感じていたことを記憶している。東中野の家を建て替えるとき、壁材はベージュ系で肌触りのあるテクスチャーの塗り壁にしたいと考えていた。
 そこで、日本建築セミナーで伝統建築についてご教示いただいていた戸張公之助さんに相談したところ、左官名工の加藤信吾さんを紹介してくださった。
 加藤さんに塗り壁の要望をお伝えしたところ、土佐漆喰をすすめてくれた。温かみのある雰囲気の色とテクスチャーを表現するため、土佐漆喰に土と砂とわらすさをいれ、200平米の壁面すべてを塗り上げてもらうことにした。そして、キッチン、洗面、トイレなど水まわりの壁仕上げは、おなじ素材で塗り上げたのち、表面の水分がほどよく抜けたころを見計らい、こて押さえして平滑な仕上げにすることにした。
 一週間後、半畳サイズほどの仕上がり見本による説明では、最終的に乾いた状態で壁は利休白茶りきゅうしらちゃのような色合に落ち着くとのこと。

 春先、壁を塗って間もないころ、まだ含水率が高い状態では、日中、障子を透して入ってくる拡散光の具合により、壁面は薄水色うすみずいろないしは薄萌葱うすもえぎにも見えることもあった。時間の経過とともに水分は抜け、壁の色は微妙に変化し、晩秋になるころようやく利休白茶に落ちつき、暮らしは柔らかな光につつまれ、深いやすらぎをあたえてくれるようになった。

 梅雨時、屋外の相対湿度が90〜100%のとき、外出先から帰宅し家に入ると、湿度がほんの10%前後低くなるだけで、室内の空気にカラッと乾いたここちよさを体感した。そして、梅雨寒のときは床暖房を低温運転すると、室内は気持ちいい温湿度環境に変化することを味わった。
 湿度が高く、楽器の音色が気になるときは暖炉を焚くと、高音部・低音部とも音色がいい感じに変化することも体験した。

 四季、吸放湿性のある内装材につつまれ、温度・湿度・放射など良好な微気候が形成された気持ちいい暮らしを味わうと、湿度の高い梅雨時や低湿な冬季に、吸放湿性のない内装材でつくられた空間に入ると、その違いはあきらかに肌で感じるようにもなった。日々の暮らしをとおしてここちよい五感刺激を30年間にわたり体感してきたため、終の住処でも迷わずに塗り壁にする。

塗り壁とクロス壁 時間軸による評価 
 住宅建築を生業とし、東中野の家で30年間塗り壁につつまれた暮らしを体験し、近年一般的な仕上材となった乾式工法のクロス類とコスト比較した場合、どちらにベネフィットがあるのか考察してみる。
 塗り壁は30年間メンテナンスフリーであった。手が触れる部分やスイッチプレートまわりには多少汚れがでてくるところもあったが、中性洗剤をぬるま湯にとかし、使い古したタオルを浸し、よく絞ったうえで汚れた壁面を軽く拭くと綺麗になる。あわせて壁面についた埃は、大掃除にはたきや柔らかい羽毛ブラシを使って落としていた。
 多分、50年間ごく普通に暮らしたとしても、日常的な掃除の範囲で塗り壁は使い続けられるのではないか、と確信している。 
 近年では、ビニールクロスや布クロスなどで壁や天井を仕上げるケースが一般的になっている。暮らし方にもよるが、クロス仕上げは10年前後で汚れや継ぎ目の開き、擦り切れなどが目立ち、張り替えすることが多くみられる。
 リフォームすると、クロスを剥がすことにより下地の石膏ボードに部分的な補修が必要となる場合もある。剥がした素材の廃棄処分費、新規に貼る素材の材料費と施工費、施工諸経費、エアコンの脱着費、家具等の移動手間などなど、リフォームには新築時より多くの出費項目が発生してくる。
 クロス材の質にもよるが、新築時のイニシャルコスト、10年毎のランニングコストを合計すると30年間の暮らしにかかる費用はかなりの金額になり、塗り壁と同等かそれ以上の費用になる可能性もある。
 暮らしの気持ちよさ、住む人の健康、メンテナンス費用などをイニシャルコスト+ランニングコストという時間軸で考えると、どちらに軍配があがるのか自ずとみえてくるのではないだろうか。

 クーラーをかけるまでもない多湿な初夏、断熱・気密性のよい建物において、ビニールクロスなど吸放湿性のない内装材につつまれた住環境は、24時間換気の弊害が発生する恐れがある。夜間も低湿な外気の都市環境ならまだしも、周辺に緑の多い地域や水辺に近いところでは、夕方から夜間・早朝にかけ、外気は日中より相対湿度がかなり高くなるため、室内の湿度も高くなる傾向がある。室内湿度が70〜75%を超えると、表面をウレタン樹脂などでコーティングした新建材のフローリング材において、素足が床材にベタつき不快に感じる。この時点でエアコンの除湿運転をかけずにほうっておくと、数日ほどで衣類や寝具まで湿気ってくることもあり、暮らし方には注意が必要である。

 左官工事は2018年4月中旬から下地づくりをはじめ、5月中旬から下塗り、上塗りをして下旬から塗り壁の養生をする。

トピックス9-1   地域文化の継承

荒川駒形神社 例大祭附馬牛つきもうしにある荒川駒形神社は、中世この地を統治した阿曽沼あぞぬま氏の家臣佐々木氏が、馬産の神を祀ったことにはじまる遠野を代表する神社である。クイーンズメドウは駒形神社の参道よりアプローチし、敷地西側境界にある沢をへだてた対岸には、樹齢500年とも600年ともいわれる杉の御神木があり、かたわらに駒形神社本宮の祠がある。

 クイーンズメドウの建設がはじまった21世紀初頭、この神社には参詣する人も馬なく、鳥居は朽ち倒れかかっている状態であったという。本館、新館の建設にさいして、このご縁に感謝し、参道に一の鳥居、二の鳥居を寄進した。そして、旧暦4月8日の五穀豊穣を祈願する例大祭には、奥宮から本宮まで神様を金幣に乗せて運ぶ役割はクイーンズメドウの馬たちがしている。

 金幣が奥宮にもどり安置されると、獅子踊の太鼓、笛が聞こえてくる。やがてカンナガラと呼ばれるたてがみを着け獅子頭をかぶった踊り手が、舞いながら鳥居をくぐり拝殿にむかう。

 それはまるで中世の世界に迷い込んだような錯覚さえ覚える情景であり、黒澤明の映画「夢」のいちシーンのようにも思えた。

早池峰神楽:クイーンズメドウでは八百万の神々へ日ごろの感謝をこめ、早池峰はやちね神楽を奉納している。

 早池峰神楽は早池峰を霊峰とする修験山伏によって伝えられ、中世から麓の大迫おおはざま地域に伝承されている大償おおつぐない神楽とたけ神楽を総称したものである。昭和51年に国指定重要無形民族文化財に指定され、平成21年にはユネスコ無形文化遺産に登録されている。

 遠野では五拍子の勇壮な舞いを特徴とする岳神楽が保存伝承されており、平倉神楽保存会は前副市長の菊池考二さんが主宰している。クイーンズメドウ創始者の今井さんは、「遠野ふるさと村」運営計画のコンサルティングで彼と出会い、その後30年にわたるお付き合いをさせていただいている。

 神楽のはじめは鶏舞とりまいである。鶏頭をつけ、睦みあうさまを舞いながら舞台の不浄を清めるとされている。季節により演目は少しことなるが、神々への感謝、五穀豊穣、家内安全などを祈願する舞いを奉納している。

 そして、一連の舞いの終わりには権現舞が奉納される。神格化した獅子頭(権現様)をあやつり、激しい歯打ちで悪霊を退散させ、観客の頭を噛んで「身固め」をおこない、無病息災や魔除けのご利益があるとされている。

 遠野では四季の移り変わる風土のなか、暮らしのしきたりは豊かな大地の恵みである農作業にその多くをゆだねている。祭りや行事で執り行われる舞いや踊りは、大人から若者、子供達へ日常的に営々と伝承されている。それは、都会では久しく失われた人々の暮らしと絆を彷彿とさせる地域の文化といえる。

9-1 左官材料の選定

 左官壁の特徴として、継ぎ目のないシームレスな仕上げが可能なことが、まず挙げられる。そして、無機素材は燃えにくく有毒ガスの発生もない。吸放湿性など室内気候の改善にも役立つのが魅力といえる。

 子供のころ暮らした家の壁材である漆喰、30年間暮らした家の土佐漆喰、それぞれの素材について、まず紹介しておきたい。

 漆喰は消石灰を主成分とする塗り壁材で、消石灰に藁すさなどの繊維やツノマタ糊をねり混ぜてつくられ、空気中の炭酸ガスをとりこんで硬化する。強アルカリ性で殺菌効果が高く防カビ性および吸放湿性があるため、家財や食糧、商品などを保管する蔵の左官材料として長年使われてきた。

 土佐漆喰は土佐地方で独自につくられた漆喰で、消石灰に塩を入れ焼成したものに発酵した藁を混入し、ねり混ぜてつくる。土佐地方は台風が多く通過するため、風雨に強い漆喰が用いられるようになり、蔵造りの外壁を土佐漆喰で仕上げ、雨がかりの壁面に水切り瓦を取りつけた意匠は土佐地方独特といえる。

 4月中旬から下旬にかけ左官材料の選定をした。塗り壁もセルフビルトでチャレンジするつもりだが、塗り素材を自分で調合することは勉強不足で手が出せないため、左官材料メーカーの調合済み素材のなかから選定条件にあうものを探すことにした。
 塗り素材の選定条件は3つあり:①素人でも塗りやすい素材、②テクスチャーと色合いを選べる素材(30年間、気持ちよく暮らした土佐漆喰壁の風合いに近いものを探す)、③吸放湿性のある素材。

 遠野の臼井金物店は6代つづく老舗の建材店で左官材料も取扱っており、ご主人の臼井及士たかしさんは博識であり、塗り素材、道具類、施工準備など左官工事ついて諸々ご相談し、アドバイスをいただく。

洋間塗り壁材(125平米)
 取り扱いが容易な塗り壁素材を臼井さんに何点か推薦いただく。左官材料メーカーの調合済み素材のなかから性能面なども検討し、吸放湿性能に優れ、消臭性能もあるゼオライトを主成分にした塗り素材を選定することにした。
 ゼオライトは木材(ヒノキ)の約3倍の吸放湿性があり、消臭性にも優れた塗りやすい天然素材で、調合済み素材に顔料で色調整ができ、藁すさ混入による仕上面テクスチャーの表現も可能である。
 ゼオライト(沸石ふっせき)は火山灰がふりつもり500〜700万年ほどかけて硬化した岩石で、結晶中に微細孔のあるアルミノ珪酸塩で、我が国いたるところで採掘されている。このゼオライトを加熱処理すると結晶水が放出され、その跡には均一で微細な孔(数オングストロームという分子レベル)がスポンジ状に開き、この孔が吸放湿性と消臭性に有効な特性がある。

出典:内装用ゼオライト仕上塗材 フジワラ化学株式会社

 暮らしには食品や調理の臭い、汗や体臭、トイレ臭、ペット臭など各種の臭いが発生し、気密性の高い住宅ではその臭いを換気や通風で消臭することは難しく、かなりの方が消臭・芳香剤を使用しているともいわれている。そういった観点からも吸放湿性とあわせて消臭性がある素材は魅力的である。

和室塗り壁材(15平米)
 和室用の塗り壁材は、珪藻土を主成分にして藁を混入し、土壁風の顔料をいれたものにした。珪藻土はプランクトンが海や湖の底に長年にわたり堆積して生成された泥土で、古くから七輪や耐火レンガの原料や濾過材、吸収・脱臭材として幅広く利用されてきた。
 珪藻土には規則正しく配列した無数の微細な孔(0.1 〜 0.2ミクロン)があり、この多孔質な構造のため表面積がおおきく、優れた吸放湿性があり、熱絶縁性が高く耐火性があり、化学的に安定している素材といえる。

 臼井さんの店には三日と開けずに相談にうかがい、施工サポートを依頼し、工事に必要なねり樽、水桶、攪拌機とブレードなど道具類の段取りもしていただく。そして、最低限必要な道具を購入する。

プロ仕様の鏝
掃除用刷毛

 臼井さんは僕が全くの素人であり、熱心ではあるがせいぜい下塗りもまともにできないのではないか、と判断されたようで、140平米の工事に必要なチームを手配し、50年ほど左官職人を経験された菊池慶一さんと彼の弟子2人を段取ってくれていた。

9-2 下地づくり 

 塗り下地の石膏ボードを貼りおえた室内は無味乾燥であるため、潤いのある生活感をイメージできるよう家具や調度品、壁面を飾る絵や彫刻などをマジックペンでイタズラ書きよろしく描き、敷地内に咲く春の花も活けるようにした。モノトーンの落書きと、色香のある花の対比は室内空間におもしろい雰囲気を漂わせていた。

 現場を訪ねてきてくれるクイーンズメドウのメンバーにはこんな遊び心がうけたようで、「左官工事を辞めにしてこのまま暮らしてもいいんじゃない?」なんていわれてしまった。

  自然豊かな環境にかこまれた Café TKASHIMIZU としては、アバンギャルドな内装でいいのかもしれないが、壁を塗らなくては 30 年間体験した気持ちいい暮らしは実現しない。ゲストがくつろげるようテーブルを大きくしたが、5月に入ってからの左官工事中は、人の出入りで埃が立つのが気になり、 Café は一ヶ月間休業にした

木枠塗装
 左官工事をスタートする前までに開口部や引戸の枠材に塗装をかけておく必要がある。素材による色の染みこみ具合を考え、長年家具の仕上げに使われてきた植物性のワトコオイルを濃淡3段階の色調に調合する。
 枠材にこのオイルを塗り、染みこみ具合をみながらウエス(ボロ布)で拭きとる。大黒柱は風格と長年使い続けられてきた雰囲気を醸しだすため、枠材より濃い色を塗り、時間をおき木部に色が染みこんでから拭きとる。

台所まわり塗装前
台所まわり塗装後
浴槽窓塗装前
浴槽窓塗装後
居間コーナー柱
大黒柱

 連休中はサトコが帰省するので、娘の小学校入学を記念して桜を植えたことを思い出し、植樹の準備をする。

東中野の桜 娘が成人するころには3階窓にも届く高さに育った

 ホームセンターの園芸コーナーでソメイヨシノ3本、エドヒガンとベニシダレを1本ずつ購入し、建設現場のわきに仮植えしておき、5月1日に植樹をする。

 連休明けより、壁面全体の下地づくりをはじめる。厚さ 10mm の石膏ボードに5mmの下塗り 、2mmの上塗りをする予定だが、左官壁を塗ってからひび割れや変色が発生しないよう、下地処理をする。
 石膏ボードの継ぎ目や出隅ですみにはメッシュテープを貼り、ひび割れを防ぐ。ボード間の隙間が大きいところ、石膏が表面にでる切断部位にはパテ処理とあわせシーラー塗りもしておく。

 幅が105mmの柱部分と120mmの梁材部分に生じる段差には、厚み3mmの珪酸カルシウム板を貼り段差を極力小さくし

 ほんのわずかな段差は下塗り時に調整する。珪酸カルシウム板を貼った部分は石膏ボードより吸水率が大きく塗り壁が早く乾くため、乾燥工程で割れやクラックが発生しないよう表面全体にシーラーを塗布する。

 下地処理は左官壁の仕上がり品質に直接的に影響をあたえるため、地味で根気のいる作業だが中途半端やいい加減な施工はできない。東中野の家を建てたとき、加藤信吾さんのチームがこの根気のいる下地処理を丁寧にしていたことが記憶に残っている。

 内壁の総面積は170平米あり、左官仕上げする140平米は下地処理をほどこし、それ以外のクローゼット・押入れ・納戸の壁面あわせて30平米は、石膏ボード仕上げとする。

9-3 下塗り

 下塗りは5月14日〜17日、 厚み5mmは1回で塗る。
 いよいよ左官工事がスタートする。
 慶一さんに下地処理の具合を見てもらい、OKをいただきほっとする。彼は塗り進める壁の順番を決め、養生テープ張りの指示を受ける。
 この養生テープは塗る部分と塗らない部分の境目に、ビニールシートのついた養生用マスキングテープを貼ってゆく作業だ。

 塗る壁と塗装済みの木枠部分、窓まわり、壁面と天井の境目、壁面と床材の見切りになる巾木部分に貼る。はじめにロフトまわりを先行し、その後、居間空間に養生テープを素早く貼ってゆく。

 その間、慶一さんと弟子二人は床に養生シートを敷き込み、トラックから足場や脚立とあわせ、水桶やミキサー、左官鏝など次々室内に運びこむ。桶に下塗り素材の石膏プラスターを入れ、水を差してハンドミキサーを回しはじめる。

  下地材の石膏プラスターが練りあがり、慶一さんから最上部のロフトまわりの壁面を塗るよう指示をうける。これはまさに僕の腕レベルの確認であり、セルフビルトがまともにできるかどうかを判断するためであろうと察知する。
 練りあがった下地材を桶に入れ、鏝と自作した鏝台をかかえロフトへ上がる。下塗りの厚さは5mm 。ここからが冷や汗ものであり、年期の入った職人さんのようなスムースな動きで塗りすすめることは難しいだろう。
 足腰は安定しており、行きはまだいい。しかし、鏝を持つ手首を返し塗り戻ることがこんなにも大変だとは 、、、。 まるで、行きはヨイヨイ帰りは怖い、そのものである。なんとか手首を返しているつもりだが、壁面の塗り具合は時間の経過とともにガタガタになり、流れるような綺麗さは皆無となる。まるで夏休みの終わり、慌てて宿題の工作にチャレンジする不器用な少年みたいな出来ばえになってしまった。
 2/3ほど塗り進むと、緊張による疲れがではじめたのか、手首が思うように動かなくなり、足腰もスムースな動きが消え、手と足の動きが噛みあわずますますぎこちなくなる。そうなると、みるからに凸凹の塗り跡が目立ち、その部分を直そうと奮闘するが、かえって塗り跡が荒れてしまう。背中には慶一さんの視線を感じつつ、上半身や顔から冷や汗が吹きだし、いよいよもって無様な格好になってしまった。

 やっとの思いで下塗りを終え、一階に戻ると、慶一さんより弟子の下塗り作業の手元てもと(助手の意味)をするよう、やんわりとご指示をいただく。僕自身は左官仕事もセルフビルトを体験したいと望んでいたが、どうも現場の雲行きはそんな流れではない。彼らとしては丸々一軒全ての壁を左官仕上げにするという久しくやってない仕事であり、「綺麗に仕上げたい!」というプロの気合が入った気持ちがひしひしと伝わってくる。
 ここまでくるともうジタバタしても始まらない。この際、皆さんの足手まといになり、下手くそに壁を塗り続けることは彼らに失礼である。50年近く左官を生業として生きてきた彼らに敬意をこめ、仕事をしやすいよう手元として立ち振る舞うよう気持ちをチェンジした。自分自身、これほど急激な意識の変化に驚きつつ、身体は手元として動き始めていた。

9-4 上塗り

 上塗りは5月18日〜20日。厚みは2mmで2回に塗り分ける。
 下塗りをしてから丸一日ほど経過し、天候状態を読みながらほどよい乾き具合を確認し、上塗りを始める。1回目は下塗り壁へのしごき塗り。季節によっても異なるが30分から1時間後、表面水が引かないうち2回目の仕上げ塗りをする。

塗り素材
上塗り材を練る慶一さん
1回目しごき塗り
一回目しごき塗り

 職人さんの手技はどの職種でも身体全体の動きが無駄なく綺麗である。手に持つ道具がセンサーの役目をし、材料にふれる道具からの感触を瞬時に脳が察知し、身体全体で道具の動きをコントロールしているのだ。数十年も壁を塗ってきた職人さんの身体の動きはしなやかで美しい。

2回目仕上げ塗り
2回目仕上げ塗り
和室への入口
綺麗に塗り上がった壁面

 21日は玄関、ポーチ、外階段のセメントモルタル仕上をして、夕方には道具類の搬出、大掃除をする。

-5 塗り壁の養生

 5月22日から、日中は毎日風を通し塗り壁の水分を徐々飛ばしてゆく。機械などを使い極端に短時間で乾燥させようとすると、塗り面に亀裂が入ってしまう。また、この時期、窓を閉めたままにしておくと、塗った壁面にカビが生え、変色してしまう。こうなると上塗り部分をすべて剥がし、塗り直さなくてはならない。
 上塗りしてから1週間たった27日、室内の湿度が下がってきたため、床面の養生シートを撤去する。

 5月末、4月下旬から木枠の塗装、下地づくりや壁塗りの手元を精一杯やったためか、疲労が蓄積し注意力が散漫になり、左足首を捻挫してしまった。休養が必要だ。
 塗り壁の乾き具合が順調にすすんだので、6月に入ってからは自分自身の養生のため、大沢温泉に湯治にでかける。

トピックス9-2  QMCHで50周年を祝う  

1973 Mt.Logan Ski Expedition 50周年記念会

 50年前の6月18日は、4人の仲間とともにカナダ最高峰に登頂し、そのテッペンからスキー初滑降に成功した記念日である。
 1973年5月から6月にかけ、カナダとアラスカの国境近くにあるMt.Logan( 6,054 m )に登頂後、まだ誰もチャレンジしてないスキー滑降をした。このアラスカ山脈は南極につぐ広大な氷河地帯で、氷河末端はアラスカ湾に達している。

 当時、この地域は30年ぶりという異常気象にみまわれ、平均気温はマイナス20℃、最低気温はマイナス43℃まで低下し、晴天は1週間に1日ほどの悪天候つづきの日々だった。
 山頂からのスキー初滑降という同じ目的のカナダ隊はすでに入山しており、ベースキャンプを築いていた。しかし、あまりの悪天候に彼らは早々に見切りをつけ、撤退した。

 入山3週間目、最初のアタックは山頂に近づきつつも荒天に阻まれ敗退。その時は遭難寸前まで追い込まれたが、幸運にも切り抜け、10日後の6月18日に登頂。

雲を抜けると、そこはどこか別の天体にいるような光景だった。ダイヤモンドダストに包まれながら山頂へ続く雪稜をゆっくりと登っていく。
丸い虹とキラキラと輝く大気の中で、かつて体感したことのない何かに包まれるような安心感と至福の時間が穏やかに流れていった。

 ベースキャンプまでの標高差 3,000メートル、滑降距離は約30キロメートルを実質5時間あまりのスキー滑降であった。

 青春時代、多くの方々にご支援いただき、4人の山仲間と記憶に残る鮮烈な体験をした。この山行は国内外の登山界より評価され、各国の山岳会年報に記録が掲載された。
 この体験をとおして、若き日の悩みから脱することができ、人生の向きあい方の基本として『勇気を持って決断する』ことの大切さを学んだ。

                                                       Photo  K.Kato

 翌日は荒川高原にでかける。馬たちの放牧地であるこの高原には数えきれないほどゲストの方々を案内しており、今回の山仲間に馬たちはどんな反応をするのか、楽しみしていた。
 馬たちは人間の意識や心理状態を一瞬にして理解し、的確な反応をしており、いつも感心していた。
 おっかなびっくりしている人に、馬たちは必ずといっていいほど微笑ましいイタズラをしてくる。後ろから近づき帽子を取ったり、服を軽く噛んで引っ張ったりしつつも「怖がらないで」というメッセージを送っている。

 疲れて元気がない人、悩みを抱えていそうな方には寄り添うように傍に佇んでいる。馬たちを背景に記念写真を撮っていると、画面の真ん中に割り込んでくることもある。
 よちよち歩きの幼児がくると、大人の馬も子馬も興味津々に近寄り、幼児に馬面をそっと近づけ可愛がろうとしている。

 さて、山仲間を放牧地に案内すると、今まで一度も体験したことのない反応を馬たちは見せ、驚くとともに馬たちの優しい気遣いが嬉しくなった。

Expedition参加メンバーとサポートいただいた先輩、後輩 Photo  E.Tokuyoshi

 メンバーの齋藤純一君は残念ながら7年前に急逝。天空より馳せ参じてくれたようで、彼の意識が身近にあることを感じていた。

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