第5章  二重屋根づくりと蓄熱用水の設置(前編)

 吉田兼好が生きていた700年ほど前の民家は「閉鎖的」なつくりであった。その後500年ほどかけ、江戸時代後期に夏をむねとした「開放的」なつくりに進化していった(第3章冒頭部分を参照)。経済成長の発展した1960年代中ごろから、冬寒い開放的な住まいは「閉鎖的」なつくりへと変化しはじめた。
 過去一世紀をふりかえってみると、わが国の住宅とそれをとりまく環境は目まぐるしく変化してきたといえる。しかし、こうした変化の結果、気候風土に調和した住まいの形が定着したのかというと、けしてそうとはいいがたいような気がする。
 夏蒸し暑く冬寒いわが国の気候風土のなかで、先人が何世代にもわたって試行錯誤し、改善と進化をかさねてきた伝統民家の延長線上に、これからの時代にふさわしい住まいづくりの方向性が自ずとみえてくると考えている。終の住処づくりにおいて、先人の知恵の考え方をベースに現代の技術で試みたいくつかの手法をご紹介したい。

5-1 わが国の気候特性

5-1-1 わが国の気候風土

 我が国は南北に 3,000kmほどつづく細長い島国で、北は流氷のやってくる亜寒帯気候から、南は珊瑚礁が美しい亜熱帯気候まである。周囲を海にかこまれているため、西欧諸国の大陸性気候のゆったりと変化する季節とはことなり、かなりはっきりとした四季の変化をもっている。大半の地域で蒸し暑い夏と寒い冬があり、季節の変り目に雨や風の多い風土で、春と秋は気持ちよく暮らすことができる。このように四季をとおして温度と湿度が激しく変化する気候風土の地域は、日本以外にはみられない。


 四季の移り変わるこの風土で、暮らしのしきたりは豊かな大地の恵みである農作業にそのおおくを左右され、西洋の宗教行事にいろどられた暮らしとはことなる。そして西洋では暮らしを「住食衣」の順に重んじているが、わが国において「住」は最後になっている。
 住まいは自然を遮断することなく、そのなかに調和し、むしろ四季の変化をたのしむ知恵をとりいれていた。日本人の生活行事は、四季のめぐりを自然と一体になるよう配慮されていた。開放的な住まいは視線がおのずと戸外へむき、庭の緑や花、流れゆく雲をめで、季節ごとに変化する自然の恵みは食膳をにぎわしていた。四季をのぞいたら文学や詩が成立しないという国はほかにはない。

5-1-2 変化に富んだ気候

 全国に約 1,300カ所ある地域気象観測システム(アメダス)のデータを解析すると、14の気候区域に分けられる。この14の気候区域は 1,200年前の奈良時代の行政区とよく一致しており、当時の行政区分は文化や社会習慣、地形などの共通する単位としており、それは地域の気候と深くかかわっていたといわれている。

 日本の国土面積は37万平方キロメートルほどであるが、14もの気候区域がある国はみあたらない。たとえば、日本と比較するとアメリカ大陸の天気図はじつにシンプルであり、天気予報もしやすい。
 この細長い国土は、広大なユーラシア大陸と太平洋のあいだに位置する地理的な条件により、冬季はシベリヤからの寒気によって発生する高気圧の影響で、大陸より北西の冷たい季節風が吹く。この風は日本海を吹きぬけるとき、暖流の影響で多量の水蒸気をふくみ、その風が日本海沿岸の山岳地帯で冷却され、大雪をふらせ、世界でも例をみない温暖豪雪地帯を形成している。

 わが国の冬季の日照時間は世界的にも恵まれている。12月の日照時間を比較すると、太平洋岸の東京は171時間、日本海側の雪国新潟は61時間、ロンドンは38時間である。

 夏季には太平洋高気圧の影響で大気の流れは冬と逆転し、太平洋上より暖かい湿った空気が南東より日本列島に吹きこみ、北の高気圧の影響をうける北海道をのぞき、全国的に蒸し暑い天候になる。夏季は東南アジアのような熱帯地方に似ている一方で、冬季は北ヨーロッパや北米のように寒冷になるという極端な気候の違いは、日本独特の気候特性といえる。同じ季節でも地域によって暑さや寒さが異なり、それぞれの気候条件によって住まいのつくりかたも変化する。北海道と沖縄をのぞく大部分の地域では、夏の蒸し暑さにも冬の寒さにたいしても何らかの対策を講じることが住まいづくりにもとめられる。

 各都市の気温を比較すると、わが国の気候特性が理解できる。大半の地域では夏暑く、冬の寒さは地域ごとにことなる。

 夏、大都市はヒートアイランド現象により高温傾向をしめすが、沖縄ははるか南に位置しているにもかかわらず、東京、名古屋、大阪よりも涼しい。島の周囲における海面温度は夏季 29℃前後であり、午後から夕方にかけてスコールが発生しやすく、気温の上昇が抑えられているからである。
 札幌(北緯43度)の冬の寒さはフィンランドのヘルシンキ(北緯60度)とほぼ同等であり、旭川はモスクワよりさらに寒い。このようにわが国の気候は地域ごとにことなっており、世界でもめずらしい気候条件の国といえる。

トピックス 寒さの夏はおろおろ歩き
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩に小気候の局地風に苦しむ農民の心情がえがかれている。
 「日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き 皆にデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい」。“寒さの夏”とあるのは、夏、東北地方や北海道の太平洋側に吹きよせる北東からの冷湿な風「やませ」のことである。この「やませ」吹くと、低温と日照不足の影響で稲作に深刻な冷害をもたらす。夏季、太平洋高気圧の勢力が弱まり、オホーツク海高気圧が強くなると、北東からの風が冷たい寒流の海をわたり吹きよせてくる。「やませ」は地上から高さ 1,000m 以下の小気候の範囲であるため、三陸海岸から北上高地をこえ、賢治の暮らしていた北上川流域にまで農業被害をおよぼしていた。

 ちなみに、山形県の米どころである庄内平野に「やませ」は吹かない。1,000mをこえる奥羽山脈が「やませ」の流入を遮っているからだ。

5-1-3 わが国の気候特性

 わが国の気候特性をひとことで表現すると「世界でもあまり例をみない気温・湿度変化の激しい地域」といえる。
 日本は北緯24度から北緯46度にかけ、弓状に細長く分布する列島で、北アフリカから地中海沿岸の都市とほぼ等しい緯度に位置している。

 右の図は、1日の気温と相対湿度の変化も考慮した場合のクリモグラフで、東京とロンドンを比較している。東京の冬はロンドンより寒く、夏はシンガポールなど亜熱帯なみの蒸し暑さになる(近年は地球温暖化の影響により、夏季におけるわが国の大都市の平均気温は、赤道直下の熱帯地域に位置するマニラより高くなる傾向もではじめている)。冬のロンドンの湿度は東京より高く、夏の気温は東京の春や秋とおなじようであり、湿度は低い。東京は年間をとおして気候の変動幅がおおきく、夏は亜熱帯なみの蒸し暑さ、冬は北欧に近い温度変化があり、いずれも快適な範囲からはずれている。

 東京における住まいづくりは蒸し暑い夏と寒い冬のために、「夏も冬もむね」とする対策が必要である。一方、ロンドンでは「冬をむね」とした住まいづくりをすれば、1年をとおして快適にくらせる。わが国の気候特性は年間をとおして温度と湿度が激しく変化するため、住まいづくりにもとめられる条件は、世界的にみて最もむずかしい気候特性といえる。

5-1-4 夏をむねとした伝統民家

 地球上には熱帯気候、乾燥気候、温帯気候、冷帯気候、寒冷気候の5つの気候があり、自然環境・生態系はそれぞれ顕著にことなっている。人々はそれぞれの地域で入手しやすい材料をもちいて、暑さ寒さをしのげる住まいづくりの工夫を何世代にもわたってかさねてきた。
 世界各地にはわが国より暑さ寒さの厳しい地域もあるが、夏かあるいは冬のどちらか一方に適した住まいづくりをすれば、年間をとおして暮らしやすい室内気候の調整に対応できるのが一般的といえる。しかし、わが国の大半の地域では、住まいづくりにおいて夏の蒸し暑さと冬の寒さの両方に対策を必要とし、「夏も冬もむね」としたむずかしい問題解決を迫られている。

 かつての日本人は蒸し暑さに対しては開放的な住まいが適し寒さに対しては閉鎖的なつくりがいいことを知らなかったわけではない。“蒸し暑さ/寒さ”という正反対の気候特性に対応できる住まいを創ることは、とても高度な技術が必要で、どちらか一方の気候に対応した住まいづくりにせざるをえなかったといえる。

 寒さ対策としては日向ぼっこや重ね着をして、囲炉裏で火をたけば容易に暖をとることができた。蒸し暑い夏を涼しく健康的に暮らすことは、建築的にはかなりむずかしい課題であったが、優先順位が冬対策より高かったといえる。こうして伝統的民家は「夏をむね」とした開放的なつくりへと進化していった。

5-2 わが国の住まいづくりに求められる設計コンセプト

 わが国の大半の地域における住まいづくりには、夏の蒸し暑さと冬の寒さ対策が必須であることをのべたが、どのような設計コンセプトの住まいづくりをすればよいのか整理してみる。

5-2-1 伝統民家の設計コンセプト

 江戸時代後期に夏をむねとした「開放的」な住まいへと進化していった民家は、当時、関東以西の地域が暮らしの中心であった。大半の地域では一年のうち2〜3ヶ月ほど寒く、気持ちのいい春と秋があり、高温多湿な夏をいかにやり過ごすかが住まいづくりにもとめられる最優先課題であった。

 太陽、風、雨などの自然エネルギーや緑の機能を活用し、住まい周辺に涼しい微気候が形成されるよう、住環境づくりに工夫をこらしていた。住み手は各種建具の開け閉めや打ち水などを積極的におこない、屋内外における熱と空気の動きをコントロールし、夏涼しく過ごせるよう日々の暮らしを心がけていた。しかし、寒い冬は薪炭などで部分的に暖をとることがもっぱらであった。

 そして特筆すべきは年間をとおして激しく変化する温度と湿度にたいして室内気候を安定させるための閉鎖的な蔵造り」(はじめに: 図1という建物を500年ほど前に開発したことである。室内の温度と湿度を安定させるために建物の工夫として重要なポイントは二つあげられる。一つは二重屋根(置屋根)、二つ目が厚さ1尺(30cm)を超える左官壁である。
 二重屋根は夏の強い陽差しから室内への焼け込みをふせぎ(遮熱・排熱)、かつ冬は放射冷却現象による屋外へ熱の放散を緩和させていた。厚く塗り込めた左官壁には大きな蓄熱容量(蓄熱・蓄冷)と吸放湿(調湿)性があり、年間をとおして屋外の激しい温度と湿度の変化にたいして室内気候を安定させていた。また、蔵の白い漆喰壁は日射反射率が高く、西陽にたいしても壁体内への蓄熱を低く抑えている。
 蔵造りは家財や商品、穀物などを保管することが主目的であり、室内の温熱環境を安定させるため内外の熱の出入りを少なくするため、窓面積は極端に小さくしていた。しかし江戸後期、ご隠居さんが暮らすようになった蔵座敷の開口部には、掃き出し窓もつくられるようように変化した。

5-2-2 現代住宅の設計コンセプト

 1973年のオイルショックを契機に、住まいづくりは省エネルギーという設計コンセプトを最優先課題と考え、それまでの夏をむねとした開放的」で冬寒い住まいづくりの設計方針を180度転換し、断熱・気密性のすぐれた閉鎖的」な住まいへと進化していった。

 この設計コンセプトの住宅は伝統民家の考え方とはことなり、化石燃料の使用を前提とし、冷暖房設備機器のサポートで夏涼しく冬暖かく室内気候をコントロールするようになった。
 しかし、断熱・気密性にすぐれた閉鎖的」な構造の住まいは、夏季において室温が外気温以上に上昇する傾向があり、クーラーで室温を下げざるをえなかった。この設計コンセプトの住宅は、結果として「冬をむね」とした住宅といえる。

 1980年代から現在にいたるまで、閉鎖的な建物の冷暖房はエアコンを使用することが一般的である。しかし、1980年代から毎年おこなわれたアンケート調査では、子供から高齢者までふくめ約7割の方々が、エアコンによる冷暖房は夏・冬ともに不快感があり、気持ちよくないという回答がでていた。アンケート結果がこのようになったのは、建物の断熱性能が充分でないこととあわせ、室内の空気温度を調整する方式は床から天井までに温度差がでやすい傾向があるといえる。

 これからの住まいづくりにもとめられる設計コンセプトの方向性は、伝統民家の知恵と現代の技術を融合させることがひとつのポイントとなると考えている。そして、地域の気候風土に配慮しつつ、資源エネルギーや設備機器に依存するまえに建築的な工夫を追求し、自然エネルギーの恵みを活用し気持ちいい室内気候を創りあげることが重要となるだろう。

 ひとつの「伝統の知恵」が確立されるまでには最低でも60年から75年ほどかかるといわれている。地域の気候風土に有用な住まいづくりの技術が「伝統の知恵」になるには、親から子、子から孫へ技術の継承と試行錯誤がくりかえされ、ようやく確立された暮らしの文化ともいえる。三世代の暮らしのなかで長い時間をかけ良いものだけが残り伝承したものであり、「伝統の知恵」は先人から現代人へのプレゼントともいえる。その知恵の本質を理解したうえで、必要におうじて現代技術に置き換えたり、現代技術との有機的な結合は今後の課題といえる。そうした工夫の連鎖をとおして、後世の人々へ「伝統の知恵」として継承され続けることが望ましいのではないだろうか。

夏季に求められる住宅性能:涼しい室内気候を創るためには、まず屋根の遮熱・断熱性能を確保することが重要といえる。つぎに開口部の日射遮蔽を徹底し、室内に通風をはかる。そして、日中建物内部にたまりやすい熱気を排出しつつ夜間の涼しい外気をとりこむ「夜間換気」により建物をクーリングすることがポイントとなる(熱帯夜の発生しやすい都市部では難しいが)。
 また、1日のサイクルで温・湿度が変化する外気にたいして、室内気候を安定させるためには、涼しさを室内に蓄える蓄冷ことのできる熱容量のある部位および湿気を調節できる吸放湿調湿性のある建材をもちいることが気持ちいい室内気候をつくることにつながる。
 ここにあげた性能項目は伝統民家の開放系にあたる農家・町家タイプそのものがそなえている基本的な性能といえる。
 また近年の地球温暖化の傾向により多くの地域で冷房が必要になるため、断熱・気密性能は地域の気候特性に適したものがもとめられる。

冬季に求められる住宅性能暖かく暮らすためには、建物の断熱・気密性能の確保が基本である。そして、日中と夜間で変化する外気温にたいして室内気候を暖かく安定させるため暖かさを蓄える蓄熱ことができる熱容量のある部位をくみこむことが必須である。また、太平洋側の低湿および日本海側の多湿に対応できる吸放湿調湿性のある内装材をもちいることが不可欠といえる。このような性能は伝統的民家の閉鎖系である蔵造りがもっていた基本性能であり、当時としてはかなり高性能な建物といえる。

夏と冬の設計技術要夏涼しく・冬暖かい住まいづくりに求められる設計技術要素を整理すると表のようになる。

 気持ちいい住まいを創るためには、夏をむねとした開放的なつくりの伝統民家、および激しく変化する温・湿度から家財や穀物などを保存するために考案された閉鎖的な蔵造りの性能・機能の二つを注意深く有機的にひとつの建物として一体化させることが重要といえる。

建物の性能だけでは対応できない暑さ・寒さ対策気持ちいい涼しさ・暖かさを体感できるようにするためには、床・壁・天井の表面温度がエアコン冷暖房のように極端な温度差がでない放射(輻射)式冷暖房システムをもちいることが体感的にここちよく、消費エネルギーの削減につながる。

5-3 二重屋根づくり

夏季方位別日射受熱量のグラフに示すように夏の屋根面は日射量がもっとも大きく熱く焼ける。水平面における1平米あたりの受熱量は1,000Wほどもあり、これは家庭用パネルヒーター1台分にも相当する。

 夏季における屋根面の表面温度は屋根材によってもことなるが、日中60〜70℃にもたっし、太陽光発電のガラス面は80℃前後まで熱く焼ける。一般的な住宅の屋根は一重であり、熱く焼けた屋根面から貫流した熱は小屋裏空間を40〜50℃ほどまで熱くする場合もある。断熱性能によってはその熱が屋根直下居室の天井面を熱し、居室の温熱環境をいちじるしく悪化するケースが多くみられる。
 蔵造りの二重屋根(置屋根)は屋根面の裏側が外気に開放された空気層であるため、熱く焼けた屋根面から貫流してきた熱をすばやく外気に放出する効果的な排熱方法をとりいれている。

冬季晴天時、夜間から早朝にかけ放射冷却現象が発生し、屋根面から宇宙空間(大気の薄い1万メートル上空ではマイナス50〜60℃ほどになる)へむけて多量の熱が奪われ、その結果、建物の居住空間は冷やされる。蔵造りの二重屋根は躯体との間に空気層があるため、この放射冷却現象で建物の熱が急激に奪われることを緩和する効果がある。
 また、寒冷・積雪地における屋根面から居室部分への漏水(すがもれ)対策として、二重屋根はきわめて有効といえる。

5-3-2 二重屋根ができるまで

 8月19日、お盆休みあけから土台・柱・梁など構造体を金物で緊結する。

土台、柱、梁の接合部を金物でしっかり緊結する。
一尺5寸(455mm)おきに間柱を建て筋違端部を金物で固定する。
建物コーナー部分の土台と柱は、地震や強風などの力により構造体がはずれないようホールダウン金物や補強金物で止めつける。
構造体補強用の金物取付を完了するといよいよ二重屋根づくりに着手する。
二重屋根の断面図、軒先から入った空気は通気層をとおり棟部分で排気する。
軒端部の空気流入口には防虫用ステンレス金網を取りつける。
通気層を流れた空気は棟排気口より外に流れでる。
軒端部に空気流入口をつくる。
軒端部の空気流入口を見上げる。
本屋根の構造用合板表面にアルミニュームを蒸着した遮熱性のある透湿・防水シートを貼りつけ、通気層用に垂木45×60mmを取りつけ、二重屋根の野地合板を貼る。
棟まで二重屋根の通気層をつくり、次に棟排気口づくりに着手。
棟排気口部分の小屋根をつくる。
排気口部分に防虫ステンレス網を取り付ける。
棟排気口の小屋根
二重屋根の完成、屋根に厚みがあり民家の風貌を感じる。

暖炉火箱と煙突の設置

 屋根づくりの工事工程にあわせ、暖炉火箱および煙突を設置する。この施工はかなりデリケートである。火を燃やせる暖炉は東京の拙宅で30年ほど愛用したものを取り外し、遠野へ運び再利用している。火箱と煙突の設置は8月末からはじめる。

9ヶ月前、遠野の倉庫へ運び込んだ暖炉火箱を現場へ搬入。煙突は拙宅から取り外し不可能だったため新規に調達。以前は3重であったが現在は2重断熱煙突に変わっていた。
暖炉の設置床は持ち送り構造とし、煙突収納部の内側は不燃材を貼る。
火箱の設置は床仕上材レベル、壁面は建具引き込み用ふかし壁寸法+左官仕上レベルに注意する。火箱・煙突を納めるチムニーの内側は不燃材仕上とする。
火箱と煙突の設置後に構造用・防火壁面材を貼りつける。
チムニートップを設置。これを取り付けることにより強風からの影響を緩和する。
煙突先端に取り外し可能なキャップを設置。純正部品は耐久性・防虫機能に難点があるため、遠野の鉄工所でステンレス製・耐火塗装仕様をあつらえる。
断熱材施工後に遮熱性のある防水シートを貼る。
初雪が降る前に建物外部まわりを完成させ足場を撤去するため、煙突外装材を貼り塗装仕上を施す。

屋根葺き工事 

 9月4日、二重屋根および暖炉火箱と煙突の設置が完了すると、屋根防水シート張りをしてから板金工事に着手。屋根葺き工事は専門の業者に発注する。

屋根防水シートは1日で貼りあげる。
屋根葺き工事は一週間後になりそうだが、防水シートを貼り終えておけば大雨が降っても問題ない。
屋根材は耐久性および日射反射率を考慮し、フッ素樹脂塗装ガリバリューム鋼板のシルバー色とした。
棟排気小屋根部分から雨漏りが出ないよう慎重に雨仕舞施工がおこなわれた。
施工チームは4名、20〜40歳代の構成で施工技術の伝承も上手くいっているようだ。3名が屋根上で施工、1名が下で屋根材の段取りをし、チームワークが良く仕事が早い。
屋根材表面を傷つけないよう丁寧な仕事で、材料加工の切り屑はゴミ袋にまとめつつ施工している。
棟排気小屋根部分を施工
棟排気小屋根と天窓の取り合い部分は積雪に配慮。
屋根葺き工事は三日間で完了。業者撤収後、地面に屋根材ゴミはひとつも落ちてなく、すがすがしい仕事ぶりであった。

 屋根葺き工事が完了しつつあるとき、たまたま昼休みに気温が30℃を超えそうであり、二重屋根の効果を Kestrel 気象メーターで簡易測定することにした。その結果、13:00に外気温が最も高く31.5℃のとき軒先の二重屋根流入口では気温と同じ31.5℃、棟排気口の排気温度は28.0℃であった。外気温より排気温度が低下した理由は、二重屋根の通気層内の木部が熱せられてなかったと考えられる。
 棟排気温度が最も高くなったのは16:00で、そのときの外気温は30.5℃、棟排気温度は40.5℃であった。二重屋根の通気層木部が熱せられるのに3時間ほどかかることが判明した。測定時の平均風速は1.5m/secで、軒先通風口の流入速度は風速とほぼ同程度。
 ちなみに、まだ断熱材の入ってない吹き抜け最上部の構造用合板裏面を赤外線放射温度計で測定すると、表面温度は28.0℃であった。

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