はじめに

なぜ終の住処か

 そもそも、なぜ終の住処を自然環境豊かな場所に建てようと考えたのか、その理由は三つある。
 一つ目として、人間という生物は自然環境の一構成要素にすぎず、体力の低下とともに無機的な環境に包まれた都会の暮らしは、あまりにも五感刺激が少なく、精神的にわびしさを感じるようになるだろう、と思っていた。やはり人は自然から生まれ、土に還るのがいい。
 二つ目は、都会はひとたび激甚な自然災害にみまわれると、極めて脆弱であり、たとえ無事にやり過ごせたとしても、復興への長く不自由な道のりには気力さえ失せるのではないか、と危惧していた。そうならば、元気のあるうちに自然環境が豊かで、災害の影響が少ない地域に移住したほうがいいだろう、と考えていた。
 三つ目の理由は、若いとき各地を巡りながら地球を一周し、日本に戻って来たとき、我が国の伝統的な民家とその周辺環境は、他では見られないほど気候風土と密接な関わりをもっていることに気づいていた。そして30代から時間をかけ学んできた先人の知恵の数々をもちいながら、「終の住処」を建てることにより、ひとつの形あるものとしてまとめたかったのである。

 20代のころ、いずれは自然豊かなところで暮らしたいと思い、北アルプスの峰々が眺められる信州の白馬村に土地を保有したこともあった。
 30代、40代は仕事と子育てに追われ、50代半ば過ぎに社会人ドクターにチャレンジすることになり、その希望はさらに遠のいてしまった。65歳を過ぎ、いよいよラストチャンスとなった。ここで腰を上げないと若いころからの願いは夢で終わってしまうと考え、終の住処づくりを最優先課題とした。

 終の住処を建てる候補地は、以前からなんとなく三ヶ所考えていた。まず、子供のころから登山・スキーで通っていた長野県。次は学生時代からの山仲間が暮らしている山形県庄内、ここには出羽富士とも呼ばれる秀峰の鳥海山がある。三番目は岩手県の遠野。ここ10年ほど、四季折々滞在を楽しんでいたクイーンズメドウ・カントリーハウスがあり、人とのつながりもでき、最終的に遠野で終の住処を建てることにした。遠野は北上山地にある盆地で、北海道への出張時は幾度となく上空よりながめ、その自然環境とほどよい人口密度を気に入っていた。 

終の住処はどんな家にしたいか、デザインテーマは2つあった。

 一つ目は「記憶の連鎖」。今回の家づくりは、生まれ育った家から4軒目になる。それぞれ暮らした家の記憶に残る建築部材を活用することで、住環境変遷の記憶をていねいにつなぎ、いずれ子供がこの家に住むことになっても、暮らした家のぬくもりを感じられるようにしたいと思った。終の住処の平面プランは、今まで暮らしてきた家の間取り・空間構成とはことなるが、住んでみるとさほど違和感もなく暮らせるのではないか、と考えていた。

 二つ目のテーマは、伝統的な「蔵座敷」をデザインモチーフにすることだった。伝統的民家には、開放系と閉鎖系があり、閉鎖系建物である「蔵造り」は、家財や商品、穀物などを保管するための建物として500年ほど前に確立していた。


図1 民家の形式と用途

 年間をとおして温度と湿度の激しく変化する我が国の気候特性にたいして、当時としては極めて断熱・気密・遮熱・蓄熱・調湿性に優れた建物を先人は考案していた。江戸後期、この蔵造りは本来の使用目的以外に、室内の温熱環境が安定しているため、ご隠居さんが暮らす座敷として使われはじめ、現在でも関東以北の地域では活用され続けている。

伝統的住環境づくりの知恵を活用

 80年代より20数年かけ、全国に14ある気候区のなかから、中世・近世につくられ、現在でも暮らし続けられている伝統的な住環境50カ所を選定し、仕事の合間をぬいながら調査をしてきた。その結果、図2,3 に示すような共通ポイントに集約することができた。

図2 伝統的な住環境づくりの共通ポイント
図3 屋外の涼しい微気候を屋内に取り込む知恵

 先人は夏涼しく・冬暖かく暮らすため、住環境づくりに3つの工夫を確立していた。「建物周辺の工夫」、「建物の工夫」の内容は、敷地の立地環境・気候特性を把握することによって工夫できるものであり、先人は気持ちいい住環境をつくるために、敷地のポテンシャル「敷地力」を最大限活用することの重要性を認識していた(図4)。 

 今回の終の住処づくりは、敷地の選定から・家づくり・暮らし方もふくめて、先人の知恵をおおいに活用し、現代における「民家」を創りたいと考えていた。先人がもし現代の技術を手に入れたら、どんな家づくりをするのか、想像しながらデザインを楽しんだ。

終の住処づくりの紹介と先人の知恵の継承

 家をつくる過程は多岐にわたっている。敷地探しからはじまり、各工事過程を紹介しつつ、活用した先人の知恵についてもお伝えしたいと考えている。一つの知恵が確立するまで、先人は3世代前後かけて試行錯誤を繰り返し、良いものが「伝統の知恵」として営々と伝えられてきている。「伝統の知恵」は先人からのお贈り物としてありがたく活用し、それを進化させ、新たな知恵として次の世代に継承していくことは現代人の使命ではないだろうか。

 そして、家づくりは長年の夢であったセルフビルト方式を試みることにした。はじめてセルフビルトを体験したのは70年代の末、アリゾナのアーコサンティだった。建物を設計し、材料を積算し発注する。施工内容にあわせてメンバーを確保し、工事が順調に進むよう先手先手の段取りをしつつ設計監理をする。建物という大きなモノを自分で考え、造りあげる面白さと楽しさを味わい、すっかり虜になってしまった。

→第1章 敷地の選定