第5章  二重屋根づくりと蓄熱用水の設置(後編)

5-4 熱部材開発と蓄熱用水の設置

5-41 自然界における温度安定材としての

 自然界では気温が変化しても、安定的に温度がたもたれている事例を数多くみることができる。例えば、人間の体重の60%ほどは水分でなりたっており、食事をとることで効率的な消化器官により熱エネルギーを生成させ、体温をほぼ36℃前後に保つことができている。
 また、絶対零度に近い極寒の宇宙空間に浮かんでいる地球は、ごく薄い大気の層が断熱材の役割を担い、太陽からの放射熱により地球全体の平均気温が奇跡的に15℃にたもたれている。これは、地球表面の2/3ほどが海であり、その熱容量の大きさが理由のひとつともいわれている。

 学生時代、水のもつ熱容量の効果について興味深い体験をした。海や川、湖など大量に水がある地域では、水のない地域と比較して気温が安定的に夏は涼しく、冬は暖かいことを頭では理解していた。しかし、その効果を目の当たりにしたことは感動的であった。
 東京ではめずらしく大雪の朝、新宿から小田急線に乗ったとき、成城学園前あたりまで都心と同じように降雪があったが、和泉多摩川駅を通過するころには雪の降る量が少なくなってきたような気がした。そして多摩川の鉄橋を渡るころには完全にミゾレに変わり、向ケ丘遊園駅を過ぎるあたりから再び雪になり、生田にむけ丘陵地帯を走行するころは大雪に変わっていた。
 多摩川は冬でも大量の水が流れており、その水の持つ熱容量により多摩川周辺地域の気温を暖かく安定させ、大雪の天候をミゾレに変えるという水の持つ大きな熱容量の効果を体験することができた。

 伝統民家の蔵造りにおける蓄熱部位は、厚さ一尺(30cm)ほどもある左官で仕上げた壁と屋根部分であり、終の住処に蔵造りと同じような分厚い左官壁をつくることは費用・期間ともに現実的ではない。
 ほんの5〜60年ほど前まで、多くの人が水の蓄熱性能を理解し、冬の就寝時に「ゆたんぽ」をつかい足や体を温めていた。
 蓄熱材料として水は熱容量が大きく、対流現象によりスムーズに蓄熱することができる優れものといえる。水の熱容量はコンクリートの約2倍、木材の3倍ほどの熱を蓄えることができる。熱を急速に取りこむことが可能な水は放熱もスムーズにすすむ。一方、蓄熱に時間がかかり、ゆっくり放熱するコンクリート基礎と水蓄熱の組み合わせは、建物の蓄熱材としてはベストミックスといえる。

 蓄熱部材として“水”に着目し、30年ほど前から床暖房システムとして初めて開発し、世に送りだしたのは株式会社イゼナの前田誠一氏である。床根太の間に設置した厚み45〜90mmの水袋に蓄熱する“アクアレイヤー”と名付けた床暖房システムを販売・施工してきた。前田さんとは、これからの住宅には熱容量の大きい“熱部材”が必要になるという価値観を共有していた。

 終の住処を建てる4年前、この課題について前田さんからお声がかかり毎月定期的なミーティングを1年間続けることにした。出席メンバーは前田さん、建築家の深川良治さんと藤森春比古さん、清水、それに事務局として前田さんのお嬢さんの朋子さんをあわせた5名。
 その結果、床根太の間に直径200mmの水袋を熱部材として設置することにし、その開発は前田さんの情熱と馬力により前進した。この熱部材に関する各種シミュレーションには深川さんの能力が発揮され、水袋の製作は藤森さんの親族企業のグローバルな特許技術が使われている。

 冬季、居住空間における暖かさの調整、夏季における居住空間の涼しさ調整については、床下に設置した大きな熱容量の水+基礎コンクリートの蓄熱温度を通年にわたりコントロールすれば、マイナス20℃になる遠野の厳冬期も、30℃を超える真夏でも気持ちいい室内の温熱環境が創れる、と考えた。

冬季対応:9月下旬から蓄熱用水の加熱をゆるゆるとスタートし、12月中旬までに蓄熱用水および基礎コンクリートの温度を26〜28℃まで高める。水温をコントロールすることにより、マイナス20℃前後まで下がる厳冬期の遠野において、居住空間の床・壁・天井の表面温度が20〜22℃ほどに安定するような断熱仕様にする。必要におうじて床下空間の暖かい空気を床面のスリットから吹きだす。3月のお彼岸あたりから蓄熱水加熱の頻度を少なくし、5月末ごろに加熱をストップする。

夏季対応:6月下旬ころまでに水温は自然に20〜22℃くらいに下がり、外気温の変化があっても9月下旬まで水温が安定的にたもたれるような断熱仕様にする。
 遠野では梅雨明けから8月下旬ころまで、太平洋高気圧の影響をうけた晴天日には、30℃を超える日もあり、その場合は吹き抜け上部より床下にある20℃ほどの乾燥した冷気を吹き出す。この冷気を昼前くらいからゆるゆると吹き出すことにより、気温の上昇する午後にそなえ床・壁・天井の表面温度を冷やし、ここちよい放射環境をつくりあげる。

 終の住処の蓄熱部材として水を8トンにした理由は、次の5項目を検討したうえで、建物全体の熱環境バランス、施工および運用の容易さ、ランニングコストのミニマム化を総合的に勘案したうえで決定した。
① 蔵造りにおける厚い左官壁の熱容量確認、② 床下に設置可能な水の熱容量試算、③ 基礎部分の熱容量試算、④ 遠野の気候特性において蓄熱を発揮できる断熱性能の検討、⑤ 遠野の厳冬期に蓄熱用水+基礎コンクリートを安定的に蓄熱できる熱源システムの検討

5-4-3 蓄熱用水の設置工事

HeatBattery敷設図:終の住処は平屋建て延べ床面積 101.2平米である。直径200mmの水袋(前田さんはヒートバッテリーと名づけた)は53本敷設し、トータル長さは222mある。約8トンの蓄熱用水を蓄えており、ヒートバッテリーだけで 9.3kw/℃の蓄熱量をもっている。緑色の小さな矩形印は床下空間から暖かい空気を吹きだすスリット。
HeatBattery断面図:ヒートバッテリーの敷設は3尺(910mm)ピッチにある大引から金物をつかい根太を吊り下げ、Uメタルプレートを取りつけてからヒートバッテリーを敷設する。大引にかかるヒートバッテリーの荷重は、6尺(1820mm)ごとに束立てし基礎床にながす。
ヒートバッテリーを敷設する根太間は1尺(303mm)ピッチで大引に吊り下げる。この施工方法は構造用床合板を固定するまで予想以上に工数がかかるため、2年後に盛岡市郊外の雫石町で建設した建物では、土台レベルに設置した根太方式にして省力化をはかる。
床下空間より吊り下げ根太を見上げる。
根太にUメタルプレートを取り付ける。)
ヒートバッテリー敷設試行の指導に首都圏から前田さんが馳せ参じる。開発したての自動注水機をつかい蓄熱用水を注入する。
1日のトレーニング体験後は、一人で7日間、全長222mの水袋に8トンの井水を注入し、不慣れでデリケートな作業を早朝から夕暮れまで続けた。
2019年設計、2020年雫石町で建設したヒートバッテリー敷設第2棟目。右から二人が前田さんご夫妻、大黒柱を背に施主の東さん、清水、朋子さん、椎名さん。この現場では構造用床合板を貼るまで、遠野の拙宅建設より約30%の工数削減を実現した。

[ トピックス:QMCH 実りの秋 ]

 終の住処づくりの合間をぬってQMCHの稲刈りに参加する。
 雪が溶ける3月下旬からはじまる有機米づくりは手間がかかる。種もみを発芽させ苗床をつくり、馬のボロ(糞)を堆肥にして田に鋤込み、沢から冷たい水を溜池に引いて温める。そして、5月中旬に田植えをし、9月下旬に稲刈りをする。
 手間のかかる農作業は自然の恵みや気候風土を肌感覚で認識し、食糧に対する根源的なことを考えるきっかけになる。そして、多岐にわたり自然環境・生態系の深遠さを学ぶ機会にもなり、きわめて貴重な体験といえる。

5月中旬、苗を手植えする。
一週間もすると苗は水田にしっかりと活着する。畔の草を刈り、焼却する。
毎年の天候により時期は異なるが、9月下旬ころ稲を刈る。
はざ掛けして天日で乾燥する。

栗が実るのも同じころ。馬は牧草中心のストイックな菜食主義だが、この時期、日の出前から いが から飛びだした栗をさがしては食べている。日中、栗ひろいをしていると馬が寄ってきて、400kgを超える馬体をグイグイと押しつけ、栗を欲しがる。ヤマグリは味・香りともに美味だ。

 奥歯で草を喰むサクサクとした音とはことなり、まるで人がアーモンドチョコをかじる時のような音をたて、飽くことなく栗をうまそうに食べつづける様子はなんともかわいい。

遠野秋景色

5-5 加齢とともに衰える気力・体力

7月から続く突貫工事雪解け後から工事スタートの予定が、井戸掘削に着手できたのは3ヶ月遅れの7月1日だった。初雪前までに建物外部まわりをまとめ、冬季に室内工事ができるよう突貫工事が続いた。
 長年あたためてきたセルフビルト方式による施工の試みは、一人で何人もの役割を演じ続けねばならず、日々大変なエネルギーを必要とした。
 施主役(建設資金の算段、近隣への挨拶まわり、毎日2回のお茶だし、上棟式準備など)、設計者役、現場監督役、工務店のオヤジ役(工事の段取り、建材の積算・発注、職方の手配、月末の支払いなどなど、この役がもっとも時間と神経をつかう!)、基礎工事からはじまる各職方役および熟練者の手元サポート役、現場掃除など諸々の雑用役。

 不馴れな土地での建築工事は要注意なことがある。工事は金が動くため、ブローカー的に妙な動きをする人も現れてくる。ここは人口二万五千人ほどの静かな街であり、派手な動きをすると噂のネタになりかねない。その地域における標準的な工事単価を把握しておけば、その妙な動きに対してもやんわりと回避する術はある。

 そして工事途中、猛暑の東京へ3回も出張し、ある企業の住宅事業部門へのコンサルティングに対応、人手不足のQMCHの農作業参加。薄暗くなってから仮住まいに帰ると自炊&主夫業など、毎日てんてこ舞いの忙しさだ。
 10月6日、蓄熱用水8トンをひとりで7日間かけデリケートな注水作業を完了した途端、ついに疲労困憊でダウンしてしまった。
 二三日は食欲もなく、一日一食ほどで臥せっていた。いよいよ食料が底をつき買い出しにでかけたいが、その気力もなく、僕の後に遠野に移住してきたQMCHメンバーの松井さんにSOS連絡を入れ、食糧調達をお願いするほどであった。
 まともに食事をとり動けるようになってから無精髭を剃り、賢治ゆかりの湯治場へでかけ、気力と体力の回復をはかる。

歳を重ねるごとに気力・体力の衰えを痛感高校・大学ともに山岳部に所属し、25歳まで年間120日以上の山登りをこなし、それなりに気力・体力には自信をもっていたが、60歳をすぎたころよりすっかり衰えを感じるようになった。
 還暦のとき社会人ドクターを修了したが、その後1ヶ月ほどは燃え尽き症候群のようにまったく元気がでなかった。

 そして65歳のとき、長年山仲間だった齋藤純一君が急逝し、散骨のため北アルプスの剱岳に登った。若いころ情熱をかけ積雪期に初登攀した剱岳八ッ峰が美しく眺められる場所に行ったとき、体力もさることながら体のバランス感覚が極端に悪化していることに自信を喪失し、愕然とした。

 50年近く山行をともにした朋友が先に逝ってしまうのは、なんとも悲しく、言葉では表現しきれない寂しさがあった。彼と3年間通いつづけて成功した八ッ峰登攀、その翌年にチャレンジしたカナダ最高峰の Mt.Logan 山頂より、未だ誰も成功してないスキー滑降は鮮烈な記憶がのこる山行だった。

 この二つの山行をとおして、僕は人生において大切なものは何かを学び、それは自身の精神的な核を形成したものと認識している。

 若いころ、信頼できる友人と先鋭的な山行をともに体験したことが、68歳になってからも「終の住処づくり」にチャレンジする勇気と決断をもたらしたものと理解している。

 最近しみじみと感じるのは、人生はほんの一握りの時間でしかなく、儚くもあり、想定外の出来事に見舞われることも多々あり、生きてゆくことは誠にシンドイことでもある。しかし、家族や親しい仲間とともに日々自分らしく暮らして行ければ、こんな幸せなことはないじゃないか、と考えるようになった。
 歳を重ね、気力・体力が衰えても、未来に希望をもって一歩踏みだす勇気は、いつまでも持ち続けたいなぁと思うのだが、さて、この先はどうなることやら . . .   

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