第4章  木構造の組立と上棟式(前編)

4 – 1 暮らしはいつも木とともに

アトリエ木の香りにつつまれた子供時代
 父の仕事場は天井が高く広々としており、もの心ついた時から格好の遊び場だった。アトリエには制作中の作品や習作、石膏の原型、木の大きな塊や板材などがたくさんならんでいた。雨の日は、ひがな一日過ごしても飽きることのない場所だった。
 父がのみで木を削ると、いい香りがアトリエ内にただよう。檜、楠、桂、桜、桐 …。 制作内容により用材がことなるため、アトリエには数ヶ月〜年単位でおなじ木の香がみちていた。
 彫刻用材を調達するのは深川の木場。運河に浮かんでいる直径1メートルを超える樹齢100〜200年の丸太を時間をかけて選定する。お目当ての材にであうと、筏師いかだしが製材所前の桟橋まで竹竿と鳶口をつかい丸太をたくみに移動させる。クレーンで運河から丸太を吊り上げ、製材機のトロッコに丸太を乗せ半割にひく。
 数日後、トラックに積まれた半割丸太2本が我が家にとどき、銀杏の木のそばの木材置場にドスン、ドスンと地響きをたて荷台から降ろされる。
 木場から届いた丸太は1年ほど運河の水の匂いが消えなかった。数年間、風通しのいいこの場所で自然乾燥し、その後、年配の木挽職人が、大鋸おがを使い、制作物にあわせて木の塊や板材に挽きおろしていた。僕は木挽さんの大鋸をひく体の動きと息づかい、目立てのようすをかたわらであかず眺めていた。
 小学生の高学年にもなると、作品の荒削りを手伝うようになった。木を切る大鋸の音、木を削る鑿跡の模様と木槌のリズム、そして木の香を嗅ぎながら気持ちがじょじょに穏やかに落ち着いてくる。アトリエでの作業は木霊とむきあうような清心さと、ゆったりとした時の流れを体全体でうけとめるような感じがした。

ジョージ・ナカシマのラウンジチェアーをつくる
 高校生になってから20代中ごろまでは登山にあけくれ、20代後半は仕事と建築の勉強に集中し、アトリエで過ごす時間はすっかりなくなってしまった。30代になり、長女を授かってからは、遊び道具などを木でつくってあげるため、久しぶりにアトリエに入った。

 子供のための木工が一段落したとき、ジョージ・ナカシマがデザインした椅子を作ってみたくなった。この椅子との出会いは20代終わりの夏、ニューヨークにあるジャパンハウス(吉村順三氏設計)のロビーだった。空が狭く蒸し暑い摩天楼の喧騒をのがれ、静謐なロビーに入ると汗がすーっと引いていくのを覚えた。黒い空間に置かれたアームのあるラウンジチェアーの凛とした佇まいに目がとまり、ほどなくすると鳥肌がたってきた。

 この椅子に座り、時のたつのも忘れ、目をとじ座面のカーブや板の厚みを手のひらで感じ、背面のスポークを指先でなぞり、アームに腕をあずけ、体全体でこの椅子をめでていた。それ以来、この椅子の造形にこころひかれ、ことあるごとにあの日の胸の高まりを想いだし、この椅子を自分の手でつくることによりジョージ・ナカシマの美意識を体感したいと考えていた。

門塀とアウトドアキッチンをつくる
 30代後半に設計し立て替えた自宅、その外構・造園の施工はDIYでトライすることにした。この20年ほどの間に、周辺はすっかり都市化して味気ない環境に激変したため、家の前を通る方のためにも、木づくりのぬくもりと緑のしっとりした季節感のある雰囲気にしたかった。

 門塀とアウトドアキッチンはすべて木づくりとした。使用部位により適材適所の樹種を選択し、施工を丁寧にしつつ継続的にメンテナンスすれば、風雨にさらしっぱなしの木構造でも十分耐久性があることを試みることにした。そして30年後、門の大戸、塀やテラスに使用した板材は、終の住処の玄関スクリーンやテラス材として再利用するこができた。

経年変化して落ち着いた外構造園

==春の風景==

==夏の風景==

==秋の風景==


4 –2 伝統建築を学ぶ

 25歳から建築を独学し、基本的なことは書籍からの勉強をこころがけた。20代の終わりに米国アリゾナで実験都市アーコサンティを建設しているイタリアの建築家パオロ・ソレリに師事しArcology(Architecture+Ecology)を学び、建築と暮らし、自然環境と都市との関係性などついて彼の哲学に触れることができた。
 その後、アメリカ大陸を横断しヨーロッパに渡り、歴史的価値のある建築と伝統民家、美術館や博物館を見ては旅をつづけていた。アッシジで数日休養していたとき、自然環境・生態系が豊かな我が国の伝統建築とその周辺環境を学ぶ必要性を痛感した。

日本建築セミナーに参加
 帰国後、住宅会社に職を得て生活が落ち着いたころ「日本建築セミナー」という伝統建築を学ぶ会に参加した。毎月の座学、2ヶ月ごとの見学会、国宝や重要文化財の建物やその解体修理の現場で、数百年〜千年を超える生命力のある伝統建築の本物に触れることができた。
 講師は伝統建築それぞれの分野における最高峰といわれる方だった。日本建築史の鈴木嘉吉先生、法隆寺宮大工の西岡常一棟梁、茶室・数寄屋建築の中村昌生先生、建築家の早川正夫先生、建築構法・生産システムの内田祥哉先生はじめ多くの諸先生。それに伝統建築の復元や修理にたずさわる工務店と各工事職種の専門家など組織のわくをこえ、ほかでは得ることができないほど幅広く奥深い講義内容であり、毎回実り多いセミナーであった。泊りがけの見学会の夜は懇親会があり、質問にも快くお答えいただき、伝統建築を理解するまたとない機会となった。
 この会に参加し学ばせていただいたことは、その後の伝統民家やその住環境調査・研究のベースとなり、先人の知恵と現代のテクノロジーを融合させた「微気候デザイン」設計手法の確立につながった。

第3章 蓄熱に配慮した基礎づくり

第4章 木構造の組み立てと上棟式(後編)